2006,06,29, Thursday
「みかんの花咲く丘」や木下杢太郎の生まれた街
伊豆の伊東といえば温泉街として名高いのですが、国民的歌謡「みかんの花咲く丘」の生まれた街であり、文学者木下杢(もく)太郎の生地であることはあまり知られていません。 この街は温泉の街、港町、文学散歩の街など、いろいろな顔をもった、街歩きにはもってこいの楽しい街です。先日、訪れた際の、文学散歩のひとコマを記してみます。 いでゆ橋から見た松川の流れ JR伊東駅から、正面の美しい銀杏並木を600mほど下りますと、市内を貫き港にそそぐ松川にぶつかります。そのまま「いでゆ橋」をわたると左右の川に沿った遊歩道で、左下流は港につづき、右手上流は桜並木の文学遊歩道です。 松川遊歩道桜並木 遊歩道には、数十mおきに杢太郎の詩や事跡を書いた案内板や碑がたてられており、読みながら歩くのも楽しいものでした。 杢太郎の作品「百花譜」の案内板 次の橋「通学橋」をわたり100mほど行くと修善寺街道の三叉路に出、突き当たりは伊東市立西小学校(旧伊東小学校)です。ここは、杢太郎の出身校で、杢太郎作詞の立派な校歌の碑があります。 杢太郎作詞の校歌の碑がある伊東西小学校 訪ねていくと、教頭先生が親切に校内を案内してくださり、このとき「みかんの花咲く丘」(作詞:加藤省吾 作曲:海沼実 唄:川田正子)にまつわる以下のような面白いエピソードをお聞きしました。 一 みかんの花が咲いている 思い出の道 丘の道 はるかに見える青い海 お船がとおく かすんでる (二、三省略) この童謡は、昭和21年8月25日、NHKと伊東国民学校(現西小学校)を結ぶ「空の劇場」と題した、戦後はじめてのラジオ全国中継放送で発表されました。 当時の伊豆新聞などの記録によりますと、当日は校庭からの中継予定だったが雨のため講堂に変更されたため、講堂はつめかけていた大勢の観客でふれあがるほどで、ガラス窓や枠が壊されたそうです。 作詞家の加藤氏は、海沼氏より放送前日の24日に「今すぐ海にちなんだ詩を書いてほしい」と頼まれ、ふるさと伊東のみかん畑を思い浮かべながら書き上げた。 海沼氏はそれを受け取り、今は亡き童謡歌手川田正子を連れてすぐに列車にとび乗った。氏は小田原付近の車窓から見える、みかん山を眺めながら、一気に譜面を書き上げ、伊東の旅館に着くや徹夜で川田さんに唄を指導、やっと発表に間に合わせたということです。このとき、川田さんは小学校6年生だったそうです。 この歌碑は、その後昭和58年、みかん園が広がる宇佐美の亀石峠下に市によって建てられました。 「今回の情報は面白かった!」→クリック♪ (この情報が気に入ったら、押してくれると嬉しいです) 1日体験申し込みはコチラ 会員登録はコチラ |
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