2007,12,01, Saturday
タイムスリップ!大和路の寺内町と伊勢みちの町並みを訪ねる旅
![]() 11月はグループタウンウォッチング発足15周年記念のスペシャルツアーとして、大和路の寺内町といわれた奈良県橿原(かしはら)市の今井町と、伊勢みちの町並み、宇陀市の大宇陀(おおうだ)の街を中心に、1泊2日の日程でタウンウォッチングしました。 参加者は32名、ボランティアガイドの解説をききながらの街歩きに、メンバーの皆さんは、関東からはなかなか足を伸ばさない、もうひとつの大和路の魅力を十分堪能しました。 <主なコースとスケジュール> 1日目=東京駅6:50~7:30ごろ-大和八木駅10:30ごろ―徒歩―今井町(レクチャー、ガイドツアー)-送迎バスー橿原(かしはら)神宮-橿原ロイヤルホテル(かしはらの湯温泉付き) 2日目=ホテル9:00―貸切バスでー談山神社ー長谷寺―大宇陀(ガイドツアー)―大和八木駅18:00―東京駅21:10ごろ解散 ![]() 今井町(1日目に散策) 戦国時代の天文年間(1532~1555)一向宗の僧今井兵部卿豊寿によって建設されたことに発するといいます。 一向宗の門徒たちがここに御坊(寺)を建て、自衛のため町の周囲に環濠と土居を築いて自治した寺内町。 現在旧環濠内にある600軒余りの民家のうち、500軒余りが伝統を残す町家で、うち8軒が国の重要文化財に、2軒が県の文化財にそれぞれ指定されている、重要伝統的建造物群保存地区です。 今回は今西家(1650年)などの公開時期に合わせて訪問しました。 さてここでは、1日目の今井町の散策の一端をご紹介します。 ![]() まず町の観光案内所になっている、今井まちなみ交流センター華甍(はないらか)に集合し、そこで町を案内して下さるボランティアガイドさんから、スライドや町の模型などを見ながらの説明を聞きました。 この華甍じたいが、古い今井町の玄関にふさわしい素敵な明治時代の建物です。奈良県最初の社会教育施設として建てられ、町役場としても使用されていました。 そのあと、和食のレストランで楽しい昼食会。英気をつけて、午後から約3時間の街並み見学のスタートです。 街歩きは2グループに分かれて行われました。 街に足を踏み入れると、まるで江戸の昔にでもタイムスリップしたかのようです。 主に商家を中心とした街並みですが、落ち着いた古来から受け継がれてきた、日本家屋の美しく懐かしいたたずまいが広がっていました。 のんびりと、じっくりと、ガイドさんの案内に耳を傾けながら、メンバーは驚いたり、ため息をついたり、歓声をあげたりで、3時間があっというまに過ぎてしまいました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ここで印象深い書を目にしました。 重要文化財に指定されている河合家住宅を見学したときです。 造り酒屋で栄えたとのことですが、二階にしゃれた座敷や部屋がありましたが、その一室に「游目騁懐」(ゆうもくていかい)という書の扁額が掛けてありました。 ![]() 中国の書聖 大羲之(おうぎし)の言葉らしいのですが、その筆跡に螺鈿(らでん)がはめこまれた、なんともぜいたくな作品です。 「目を遊(游)ばせ懐(おも)いを騁(は)す」と読みますが、意味は「いろいろなものを自由に見て歩くと、想像力が活発にはたらく」ということで、これはどこかで聞いたような内容ですね。 そうです、グループタウンウォッチングの活動そのものではありませんか。 この言葉は、今後わがGTWの標語としても記憶しておきたいものだと思いました。 ![]() さて、街歩きを堪能したあとはスタートの華甍に帰り、今度は橿原ロイヤルホテルのバスで橿原神宮へ。 大和三山の一つ畝傍(うねび)山のふもとにひろがる広大な森林の中に神宮はあり、荘厳で深い歴史を感じさせられます。神宮の参拝と散策が終わると、近くの近鉄橿原神宮前駅の前にあるホテルへ。 この駅はそのまま神宮の参道になっていて、年末年始には数十万人の参拝客であふれかえるそうです。 ![]() ホテルでは、さっそく温泉大浴場で疲れを癒してから、夜の宴会です。 食事をしながら、メンバーひとりひとりが自己紹介のあと、今年行った旅の思い出のトピックスを紹介しました。 さすが、街歩き・旅行好きの集まりならではのひとときでした。 ![]() 大宇陀町(2日目に散策) 2日目は、午前中に大化の改新にゆかりの深いといわれる談山神社と長谷寺に参拝した後、午後から大宇陀の町並みを、地元のボランティアガイドさんの案内で散策しましたが、今回は同地の簡単な案内だけを、記しておきます。 奈良県の宇陀市地区は飛鳥時代「阿騎野」(あきの)と呼ばれ、宮廷の狩場としてその名をとどめています。 往時の万葉歌人であった柿本人麻呂が『ひむがしの野にかぎろひの立つみえてかえりみすれば月かたぶきぬ』と詠みました。 この万葉歌は、狩のお伴を行ったときにつくられたといわれており、現在その地は「かぎろひの丘万葉公園」として整備されてい ます。 また、江戸時代には松山藩の城下町として、さらには伊勢へ向かう街道の要衝として繁した面影が薬草園等の歴史的資産とも あいまって、時間がとまったような独特の空間をつくっています。 <関連リンク> 今井町ホームページ 大宇陀町ホームページ |