「日本名水百選」秦野盆地湧水群見学と1万坪の庭園・鶴巻温泉元湯 陣屋の食事会

秦野駅近くの水無川にかかる美しいまほろば橋
秦野(はだの)市
神奈川県西部、丹沢の山並みに包まれた盆地。
丹沢の山あいから流れを発する金目川や葛葉川、四十八瀬川、水無川一帯に点在する21ケ所の湧水群は環境庁から日本名水百選にも選ばれました。
現在も21ヶ所で日量約8,000トンの湧水を利用。条例、要綱等で保全に努めているそうです。
秦野市の水道事業の約7割を地下水が占めており、飲用から雑用まで市内に広く井戸が分布しています。
1日平均132トン湧出している「弘法の清水」や「今泉名水桜公園」など代表的な湧水を見ます。
湧水豊かな桜公園
桜公園の今泉湧水池
公民館玄関横にある湧水「まいまいの泉」
街中の住宅街に湧く「弘法の清水」
出雲大社の分祠
出雲大社の境内に湧く「千年の杜の水」
ほたる公園の湧水
鶴巻温泉元湯 陣屋
鎌倉幕府の時代、源頼朝の側近で四天王の一人と言われた侍所別当和田義盛公の陣地でした。
丹沢山塊の地下深くから湧き出る鶴巻温泉のいで湯は、 カルシウム含有量世界有数の名湯。
イオンをたっぷり含み、リュウマチ、神経痛、外傷、胃腸病(飲用)に 効果があると、古くから知られています。
三井財閥が平塚の奥座敷であり、温泉の湧く(鶴巻)和田義盛公の跡地に大切なお客様を接待する為に建てたのが陣屋の始まりで、
小田急線が引かれる前の事です。
平塚には海軍の火蒸廠があり、海軍の将校達が馬車で来館し、大正の初めから終戦まで続きました。
大正の終わり頃から旅館として営業していましたが、戦時中軍に接収され、病院となり多くの兵隊が温泉に入り、傷を治していました。
「陣屋」として生まれ変わったのは、昭和になってからです。「松風の間」は明治天皇が宿泊をするために黒田藩が大磯に建てたものを三井家が現在の場所に移築したものです。

陣屋入り口の看板

陣屋のレストラン前の美しい庭

陣屋内の神奈川県公認第一号の飲泉
以下は参加メンバーの感想です
以前から秦野は気になるまちの一つでした。
風水のまち、秦氏の開いたまち、弘法大師が立ち寄ったまち、
などの理由です。
今回、秦野をご案内いただき、みんなつながって見えてきました。
出雲大社の分社もあるまちと知り、
秦野が古代日本の重要な都市(拠点)であることが見えてきました。
今後、文献等でより深く調べてみたいと思いました。
刺激的なまち歩きでした。
心から感謝いたします。
第2土曜 波 巌.