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2007,03,12, Monday
大手町情報3
三井物産プラザ池 ”カルガモの池”として有名になった三井物産本社のプラザ池は、内堀通りに面した公開緑地で、昼休み時は周囲のベンチで昼食 を取ったりするOLなどが集う憩いの場。 三井物産本社のある皇居周辺は、江戸時代には諸大名の上屋敷があった所。 三井物産は酒井忠清の上屋敷があった地域。 酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)家は、武蔵川越城主に端を発する譜代大名。 忠清は4代将軍家綱の大老となって権勢を振るい、 邸宅が大手御門前の下馬札の前にあったことから「下馬将軍」と称されたそうです。 酒井家は寛延2(1749)年に播磨姫路藩15万石 に転封され姫路城主へ。 平将門首塚も旧敷地内にあります。 三井物産の歴史は、明治9(1876)年の旧三井物産の誕生から。 職員わずか16人、設立の意義を世界に求め、当時の国民経済にとって最大の生産物だったコメの国内の流通の整備を推進、さらに日本のコメを日本の船でヨーロッパに初めて輸出することに成功しました。 明治の開国以来、「欧米に追いつけ、追い越せ」のスローガンのもと、綿糸紡績業で大きな飛躍を遂げ、昭和22(1947)年の財閥解体後「総合商社」としての体裁を整えました。 現在は、IT(情報技術)、FT(金融技術)、LT(物流技術)といっ た商社機能をさらに強化し、資源開発事業のみにとどまらず、海運会社の共同事業経営、アルミナ(アルミニウムの主原料)製造など、新規ビジネスが続々と誕生し日本を代表する総合力商社へと発展。 昭和51(1976)年竣工した三井物産本社の人工池「プラザ池」にカルガモがやってきたのは昭和59(1984)年。 5月の終わりごろに飛来し、いつの間にか卵を産んで皇居のお堀へ引っ越していったのが最初だという。 以来”プラザ池”で生まれた子ガモたちは1ヵ月ほどこの池で過ごし、大きくなると親ガモの後に続いて皇居のお堀へと引越。内堀通りを横断する引越し光景が毎年ニュースで放送され人々の目を楽しませています。 「ここがそうなのね」と納得。 カルガモレディの話を紹介。 カルガモレディと呼ばれるOLがいるそうです。 現在の方で4代目。 彼女は三井物産ビルを管理する支店に勤務。 カルガモシーズンは、通常事務の他にカルガモレディを兼務。 カルガモレディの仕事は、カルガモのつがいが来たことを確認してからエサの手配に始まり、雛が生まれてからはモニターで池を監視し、天敵のカラスが来ればすぐに飛んでいくという。 また、カルガモの様子を日記につけ、写真を撮り、三井物産のホームページに載せているそうです。 しかし2006年はヒナの誕生がなく、日記を掲載できなかったとか。 知られざるカルガモレディの話に笑いが起きました。 「今回の情報は役に立った!」→役に立ったよクリック♪ 1日体験申し込みはコチラ 会員登録はコチラ ![]() |
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