船橋情報4
サッポロビール千葉工場
全員見学。
麦芽の試食、香ばしくて美味しい!
ビール缶の出来上がる速さに歓声。
一人が一日大瓶1本飲み続けても、2000年以上かかるタンク、と聞いて
とても生きていられない!
仕込みタンクの部屋を見て、近未来的!
目視検査員の方の作業(30分検査して10分休みを交代)に、若くなきゃ無理ね。
とおおいに楽しんでいた様子。
見学後、試飲場所に向かうガラス張りの廊下に
「おいしい生ビールまで180m」とカウントダウンされている表示に笑いあり 。
2杯目のエビスビールまでトライした方数人。
最初からエビスにして欲しかった、という声も。
おじいちゃんおばあちゃんを連れて、また来たいという声あり。
何か試したり経験できるタウンウォッチングは、より楽しいと。
楽しい見学だったとの感想が沢山ありました。
ホームページによれば
■竣工:1988年6月20日
■敷地面積17万2,000m2
■緑地面積4万8,900m2
■従業員数130名
■年間製造能力 350ml缶換算 約9億本
工場で生産されている主な銘柄 黒ラベル、エビス、生搾り、ドラフトワン
目の前に広がる青い海と、敷地面積の4分の1以上を占める花や緑に囲まれたビール工場。環境に対して最大限配慮し、製造工程からでる副産物・廃棄物は100%再資源化。廃水処理の過程で発生するメタンガスを電気にかえる「燃料電池」を世界ではじめて導入している。動植物が生息する約5,800m2の空間のビオトープ園もある。
見学受付時間:10:00~16:00(見学開始時間は毎時丁度より)
見学休止日: 日曜・月曜・祝日、年末年始
見学所要時間: 約60分(見学40分、試飲20分)
電話:047-436-4388
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投稿者: osanponavi
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船橋情報4
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船橋情報3
船橋情報3
船橋大神宮
「日本三代実録」の記事(863年)に意富比(おほひの)神社の名が記されている船橋市を代表する神社。境内には多彩な樹木が茂り大変美しい。駐車場から灯明台がよく見えます。
大神宮のシンボルの灯明台(県指定文化財)は夜間船橋沿岸を航行する船は、境内にあった常夜灯を目印にしていたが、
慶応4(1868)年の戊辰戦争の際に、船橋・市川地方も局地戦の戦場となり、その時幕府方脱走兵が船橋大神宮を拠点としたため、宿場・漁師町の大半が焼失。
灯明台は社殿とともに焼失。再建を望む声が高まり、地元の有志の寄付金によって境内にある、小高い丘の上に建てられた。明治13(1880)年に完成し、明治28(1895)年に廃止されるまで、政府公認の私設灯台として活躍した。木造瓦葺き、3階建てで、1、2階は和風、3階は西洋式灯台のデザインを取り入れた和洋折衷のつくりになっています。
2006年、水産庁の「未来の残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に認定。
社務所の小川さんによれば
「海抜12mの高台に、12メートルの灯明台が建てられました。
この場所に移築したのかと聞く方がよくいるが、
海老川からこちら側は、もともと海岸に近く他に何もなく
当初からここに建てられました。
灯明守が住んでいた訳ではなく、漁師たちが通いで夜勤めました。
2階までは階段で上がるが、3階へははしごをかけて上りました。
当時は石油ランプ3基を3階の底の部分の丸穴(下写真)にはめ、
反射鏡で照らし、その光は稲毛海岸や浦安まで届いたという。
室内は直火のため、すすと煙で大変な息苦しさであったといわれます。
一般には正月3が日に公開され、成人の日には、「燈明祭」が開かれ、灯明台が点灯されます。
土俵は駐車場の位置にありましたが、移動されました。もともとは約400年前に徳川家康が船橋に滞在した時、慰めに子供相撲を献上したのが始まり。家康は大いに喜んだといいます。
家康の船橋御殿が廃止された後も、その広大な地所を与えられて大神宮の祭礼に相撲は欠かせない行事の一つになり、特に江戸時代には見物人たちのエキサイトぶりから「船橋のけんか相撲」の名が生まれ、関東でも指折りの草相撲大会としてその名をとどろかせていました。10月には今でもしています」
日差しが強くなってきた為、大神宮はとても気持ちが良い。
灯明台を見て当時の海の近さを実感。
九段の常灯明台を思い出す人もいました。
船橋大神宮の灯明台祭
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船橋情報2
船橋情報2
船橋漁港
船橋浦は、江戸時代には将軍家の台所に新鮮な魚介を献上する「御菜浦」(おさいうら:江戸幕府に魚介類を献上するために指定)でした。現在では、東京湾奥部で本格的に操業されている唯一の漁場として、江戸前近海魚の水揚げや浅草海苔の養殖が行われています。(船橋産の海苔も船橋名産品の一つ)
漁協冷蔵倉庫前に船橋浦の漁業史を記した石碑もあります。
慶長19(1614)年、家康が船橋御殿に滞在中、漁民が生魚と貝を献上したといいます。その後も毎月6回、江戸城本丸に献上品として同じものが届けられたため、家康は大いに喜び、漁船の課税を免除したといいます。
9日には特別ゲストとして巻き網漁業をされている大野さん(写真左)が漁港で解説を。
「港は多くは河口域に出来るが、船橋港は海老川河口に出来た漁港です。
港には約400隻の船が停泊、多くはアサリ船で、ステンレス製の巻きかごを積んでいるのですぐわかります。
190名の組合員と、200名の準組合員で、合計約400名で成り立っている。昭和30年代には1200名ほどいましたが。
いわし、たちうお、すずき、いなだ、さば、ふぐなどの水揚げがあるが
特にすずきは、日本一の水揚げ量を誇っている(年約300トン)。
のりも三番瀬で養殖をしています。
港の北側は京葉道路が走り
南側を湾岸道路、京葉線が通り、向こう側は東京湾ですのでここは江戸前の海です。
黒い鳥は、川鵜です」などなど。
最初の自己紹介のときに「イヌイットやエスキモーのように船橋の原住民です」と笑いを誘いました。
私のように船橋新住民にとっては原住民とは新鮮な言葉で、確かに!と納得。
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船橋情報1
船橋情報1
不動院
車の渋滞する駅前通りから一歩入ると静かな寺町ができています。
その一角にある不動院。資料によれば
「毎年2月に大仏追善供養が行われる。
延享3(1746)年の津波で溺死した漁夫や住民のために建てられた石造釈迦如来座像。
後に、漁場争いから漁師惣代2名が栄養不良で獄死したことを悼み、文政8(1825)年正月28日(明治以降は2月28日)から毎年同じ日に行われている。
大仏に白米の飯を盛り上げるほどにつけて供養することから「飯盛地蔵」とも呼ばれ、市指定文化財になっている」
初日、副住職に特別に解説していただきました。
「飯盛地蔵と呼ばれているが、お釈迦さま(釈迦如来座像)です。
現在、寺町のお寺の数は7です。江戸時代は9寺院あり、江戸時代のお寺はすべて東向きでした。
大仏も東に向いている。その理由はよくわかりません。
背中に建立の年月が刻まれているが、1746年に津波で亡くなった人を供養して
建てられたにしては、同年中に造るのはムリではないか。もしかすると、もっと以前の
津波被害があったのではないか・・・?
毎年2月に行われる大仏供養は10時からで、遅れてくると大仏に盛られたご飯が
取られてしまいます」
大仏に飯を盛り上げるようにつけるという話しに驚きの声。写真を参考に。
大仏追善供養(だいぶつついぜんくよう)
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早稲田情報5
早稲田情報5
早稲田奉仕園・スコットホール
今回、早稲田奉仕園のお世話になりました。
「早稲田奉仕園は、明治41(1908)年米国バプテスト教会の宣教師であったH.B.ベニンホフ博士が、早稲田大学の創始者大隈重信の依頼を受け、キリスト教主義の学生寮「友愛学舎」を開いたことに始まり、明治44(1911)年に「早稲田奉仕園」と正式に命名。
大正10(1921)年には米国スコット夫人の寄付により「スコットホール」が完成し、寮を含めた学生センターとして現在の礎を固めました。(「東京都歴史的保存指定建造物」)。
セミナーハウス(1970年完成)を中心に社会人にも門戸を開放し、各種講座や研修会の会場としても利用されている。さらに1980年代に、早稲田大学との共同事業として留学生寮(国際学舎・早稲田奉仕園会館)が相次いで完成。
http://www.hoshien.or.jp/
奉仕園の敷地に入ると、その静寂な雰囲気は学生街の早稲田では特異なもの。
美しい赤レンガ造りのスコットホールは、初めて見る者を惹きつけます。
スコットホール
保存か建て替えかで話題になった滋賀県豊郷小学校を設計したヴォーリズ建築事務所(山の上ホテル、西町インターナショナルスクールなど)の設計管理のもとで建てられました。 大正12年(1923年)の関東大震災
で塔屋の一部が崩落し補修したそうですが、他はほとんど原形だそうです。
内部は天井が高く木質が温かい教会の長椅子に坐れば癒されます。あるメンバーによれば、早稲田の混声合唱にお嬢さんが入団していた当時
スコットホールでコンサートなど行ったとのこと。時々、コンサートなどのイベントもありますので一度参加してみたいものです。
http://www.hoshien.or.jp/event/CC060419.html
2階の会議室も可能な日には案内を。懐かしい空気の流れる空間です。
雑誌『東京人』の取材があり、6月3日発売7月号に掲載予定とのこと。
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早稲田情報4
早稲田情報4
江戸川公園・新江戸川公園
今回は隠れた桜の名所が2カ所あります。スタートの満開の桜から
桜の変化を日を追ってレポートしましょう。
4月4日
江戸川公園沿い、神田川に枝もたわわに下がっている桜に歓声が上がりました。
雨になりそうな天気にもかかわらず夜桜の場所取りのシートがあちらこちらに。
それでもゆったりと。ここは花見の穴場中の穴場。
4月5日
神田川沿いの桜並木と散り始めた桜にメンバー感激していました。
松声閣の下にて解説。雨だったが、外から見える桜に誘われて
全員新江戸川公園内を散策しました。
4月6日
江戸川公園の桜並木を歩けるということを大変喜んでいた。
花吹雪が美しい。
新江戸川公園内は時間が気になって、せかせか歩くしかなかったと残念そうな声も。
4月7日
新江戸川公園には桜がまだ残っており、さらに八重、しだれなどに感激の声。
早稲田と目白の椿山荘付近の位置関係が、歩いてみて初めて分かったという声も。
4月11日
神田川沿いはすっかり葉桜だが、こんな江戸川公園のような名所は知らなかったと驚く声も。
新江戸川公園は、しっとりと雨にぬれた木々が素晴らしくメンバーからも歓声。空気もおいしいと。
4月13日
江戸川公園・神田川沿いの桜のじゅうたんにメンバーは感激。
4月18日
「桜は終ったが、つつじ、たんぽぽ、新緑がきれい。
気持ちが良い、この場所は知らなかった」とのメンバーからの声あり。
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早稲田情報3
早稲田情報3
大隈通り
早稲田大学北側の商店街の通りで、名称は早稲田大学の創立者大隈重信より取っています。
学生街のためか焼肉屋が多いのが目立ちます。
大隈通り
角帽を売っている店もあります。
大隈重信は、世界唯一の帽子を作って、すぐに早稲田の学生とわかるようにしたかったようです。
そのために呼び出されたのが、洋服店「高島屋」の主人・弥七郎で、彼は三昼夜にわたる熟慮の末、自信作を提出しました。
金モールの徽章とともに商品登録を受けた角帽の裏には姓名・学科名の他、校印を捺して、
「早稲田の学生に相違無之候也」との文字が添えられ、身分証明ともなり、実質的なステータス・シンボルの役目を果たしました。
角帽は7,350円で現在も販売中。
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早稲田情報2
早稲田情報2
早稲田大学西早稲田キャンパス
早稲田大学は、明治15(1882)年10月21日に創設した「東京専門学校」を前身として政治経済学科、法律学科、理学科、英学科を設置。入学生は80名でした。
現在は学生総定員49,830人 在学生数57,009人 男性40,137人 女性16,872人(2005年4月末日 現在)
学部は11に:政治経済学部、法学部、第一文学部、第二文学部、教育学部、商学部、理工学部、社会科学部、人間科学部、スポーツ科学部、国際教養学部 。
新入学生のクラブ部員獲得のためのオリエンテーションでにぎあう早大キャンパス
西早稲田キャンパスには政治経済・法・商・教育・社会科学・国際教養学部が。
4月4日のタウンウォッチングの初日にはクラブの勧誘で歩けないほど。7日には勧誘終了。長テーブルも撤去、人が減りキャンパス内も
見易くなりました。
東京都歴史的建造物に指定されている大隈講堂は佐藤功一(早稲田大学建築学部創設者)の設計。
以前見学した江古田の武蔵学園記念室と同じ建築家。
講堂の横にあるカフェテリアに通じる道から美しい回廊が見られます。
大隈講堂の回廊外観
中央部分で目を凝らさないとわからないのですが、大礼服を着た大隈重信像が置かれています。
ちなみにキャンパス中央にある大隈重信の銅像は学者としてのガウン姿。
大隈講堂にて4月5日は早稲田実業高校の入学式、6日は早稲田実業中学の入学式。
7日は早稲田中学の入学式。大学の入学式は戸山キャンパスです。
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早稲田情報1
早稲田情報1
関口芭蕉庵
江戸時代を代表する俳人松尾芭蕉(1644~1694)が、2度目の江戸入りの後、1677年から3年間この地に住んだとのこと。
当時、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、芭蕉はこれにたずさわり、工事現場か水番屋に住んだといわれています。
深川に37才で移ってからは資料がありますが、それ以前10年位明確なものはないそうです。
但し、芭蕉庵にて神田上水のアルバイト的な仕事で生計を立てていたことは確か。
後に芭蕉を慕う人々により「龍隠庵」という家を建てたが、これが現在の芭蕉庵につながっています。
芭蕉堂は江戸時代終わりに建て替えたもの。
その後焼失し、現在のものは第2次大戦後の建築。
古池の句案内板と古池
芭蕉庵から野間記念美術館まで講談社野間社長の敷地は約15000坪(20数年前まで)あり、
芭蕉庵は現在約600坪を公開しているとのこと。
目白台のハケにあり、池は自然のもの。句碑「蛙飛込む・・・」があるが
ここで詠んだのでなく、深川に移ってから詠まれたもの。
但し、句碑の文字は芭蕉の直筆から写したもの。
ちなみに芭蕉の句碑は全国に300位あるようです。
山門わきの石碑は芭蕉が琵琶湖が好きで、当時辺りの早稲田田圃を琵琶湖にみたてて詠んだとのこと。
池のあたりにある植物のバショウが現在新芽が出ているので必見。
さくら祭りの期間中(4月10日まで)は通常閉まっている山門が開放されて休みの月、火曜も公開。
甘酒販売もあります(200円)
10:00~16:30
無料
月・火曜日休み
03-3941-1145
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船橋市(千葉県船橋市)見所・楽しみ方・コース他
5月度月例ツアー 第139回 タウンウォッチング IN 船橋

・画面をクリックすると地図が出ます
・(GTWツアー参加者には、上地図とは別途にコースの楽しくわかりやすいオリジナルイラストマップが配布されます)
・5月度船橋実施日はこちら

・1日体験申し込みはこちら

[:太陽:]週間天気
http://www.excite.co.jp/weather/spot/273/0000/
[:電車:]乗り換え案内
ekitan.com
◇見所・楽しみ方
1. 江戸近郊としての「船橋」の歴史を知る。
2. 船橋の寺町や漁師町を歩き、風情ある民家を見つける。
3. 日本最大のショッピングセンター「ららぽーと」を知る。
4. 船橋港、千葉港、京葉港にて海の自然を感じる。
5. 京葉食品コンビナートを見る。
◇ウォッチングコース
集合 :船橋市民文化ホール入口前 (京成線京成船橋駅 駅前通り3分。もしくは JR総武線船橋駅 南口5分)
[:下:]
船橋御殿跡・東照宮
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寺町散策
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船橋大神宮
・写真をクリックすると拡大されます
船橋大神宮内の灯明台(灯台)
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湊町卸小売市場
[:下:]
船橋港親水公園
海老川河口に広がる船橋漁港と港親水公園で行われる夏祭り
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ららぽーと
船橋港親水公園の向こうに建ち並ぶ巨大なショッピングモールららぽーと
[:下:]
サッポロビール千葉工場
昼食: 工場内の千葉ビール園で
海老川の河口にあるサッポロビール千葉工場
[:下:]
解散 : 京成津田沼駅(京成線)・津田沼駅(JR)・新習志野駅(JR)
※サッポロビール工場より無料シャトルバスで上記各最寄駅まで送ってもらいます
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