代官山情報4
西郷山公園 ([:花:] 写真をクリックすると拡大されます)
旧山手通り沿いの高台から、山の斜面になっている所にあり、公園の特徴は、丘と緑と、20mの落差をもつ人口の滝。
眺めも素晴らしく、目黒の街並みや、澄み切った晴れた日には富士山も眺められます。眺めが良いと歓声。
西郷山公園の庭園
公園内には鹿児島産の溶岩があり驚きます。 このあたり(青葉台二丁目)は、江戸時代には豊後の岡(竹田)城主中川候の抱え屋敷。
明治7(1874)年に西郷隆盛の弟・従道(じゅうどう)が、兄隆盛が再起し、上京して来る日に備えて、約6haにおよぶこの地を購入しました。
隆盛が西南戦争に敗れ、自刃した為、従道は自らの別邸として利用する事になり、フランス人デスカスによる木造二階建ての洋館や、書院づくりの和館などが建てられ、また池を中心とした回遊式の庭園も設けられ、東都一の名園とうたわれました。
このようなことから、いつしか人々はこの一帯を“西郷山”と呼ぶようになり、公園の名も「西郷山」という通称が付近の人に親しまれていたことにちなんで名付けられました。
昭和16年に西郷家が渋谷に移転して、私人の手に渡ってからは池が埋め立てられ空襲で和館も焼失して、かつての名園の面影を失っていきました。
残された洋館は、一時期プロ野球の国鉄スワローズの選手合宿所として使われた時もあり、昭和35(1960)年に愛知県犬山市の「明治村」に移され、国の重要文化財に指定されています。
http://meguroku-net.com/meisyo/saigouyama/saigouyama.htm
〔西郷従道(さいごう じゅうどう)1843-1902〕
江戸時代後期から明治の軍人、政治家。
本名は隆興、隆道。なお名前の読みとして、「つぐみち」が広く流布しているが、西郷家の子孫によると「じゅうどう」が正式の読みとされる。
名は維新後に太政官に名を登録する際、「隆興」をリュウコウ(「隆道」でリュウドウとも)と呼んで口頭で登録しようとしたところ、宮内官に「ジュウドウ」と聞き取られ、「従道」となってしまった。
本人も特に気にせず結局「従道」のままであったといいます。西郷従道の名前のエピソードに笑い。
伊藤博文内閣の海軍大臣、内務大臣などを歴任。
相候補に再三推されたが、兄隆盛が逆賊の汚名を受けたことを理由に断り続けました。
面影は兄隆盛に似ているとされ、肖像画を作成するときは彼の写真が参考にされたそうです。
さらに坂道を下と菅刈(スゲカリ)公園にいけます。
菅刈公園内の明治天皇行幸を記念した西郷邸跡の碑
菅刈公園には旧西郷邸の資料が展示されているのでよくわかります。
菅刈公園
解散後、目黒川散策やマダム・トキへ行くと話すメンバーも多い。
代官山は意外と落ち着いていた街でしたと感想を述べるメンバー。
高いビルがないせいで落ち着くとの声も。
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